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神戸地方裁判所 昭和55年(ワ)1338号 判決 1984年5月28日

原告 渡田武

<ほか三名>

右原告ら訴訟代理人弁護士 宮永堯史

被告 神戸市

右代表者市長 宮崎辰雄

右訴訟代理人弁護士 奥村孝

同(復代理) 中原和之

主文

原告らの各請求を棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告渡田武に対し金二一〇万六四九一円及びその余の原告らに対しそれぞれ金一四〇万四三二七円並びに右各金員に対する昭和五五年一二月九日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文と同旨

第二当事者の主張

一  請求原因

1  集団検診の受診

訴外渡田和子(昭和八年一月一二日生、以下「和子」という。)は、同五四年九月一八日神戸市垂水保健所において被告の実施したエックス線間接撮影による胃の集団検診(以下「胃集検」ともいう。)を受け、同保健所長から同月二一日付で異常なしとの通知を受けた。

2  その後の経過

和子は、同年一一月中旬ころ嘔吐や下痢をおこし、同月二九日社会保険神戸中央病院で受診したところ幽門洞胃癌(ボルマンⅢ型)と診断され、また、同月三〇日中院クリニックセンターで受診したところ幽門部胃癌と診断された。

さらに和子は、同年一二月四日神戸大学医学部付属病院で受診した結果、胃癌(ボルマンⅢ型)と診断され、同月一〇日同病院に入院し、同月二〇日開腹手術を受けたが、癌が肝臓や膵臓にまで転移していたため、胃空腸吻合術及びブラウン吻合術のみを受け、その後も抗癌剤投与などの治療を受けたが、同五五年二月一〇日死亡した。

3  被告の責任

被告の職員には左記の過失があり、被告は使用者としてその責任を負うべきである。

(一) 和子は、同五四年一一月下旬進行癌に冒されていたが、進行癌には早期癌から平均三六か月の期間を経て進展するものであるから、同年九月時点ですでに進行癌にかかっていたことが明らかである。

ところが被告の職員は、エックス線写真読影の際、過失によって右の異常所見を見落した。

(二) 被告が和子に対して実施したエックス線間接撮影法は、他の検査方法と比較して異常所見の見落し率が高いとされているにもかかわらず、被告は読影者数の増加を図るなどしてこれを改善する努力を怠り、漫然と右方法を実施してきた。

(三) 右検査方法では、内視鏡による検査方法に比較して異常所見の発見率が極めて低率であり、これを見落す可能性が十分存在することが明らかであるから、受診者に検査結果を通知する際その旨の説明を付加すべきであるのに、被告(垂水保健所長)はこれを怠り、漫然と異常なしという前記通知をした。

4  因果関係

和子は、被告の職員の前記過失がなければ、直ちに精密検査を受けて早期に手術を受けることができたはずであり、これによってなお三年間は生存できたものである。

5  損害

和子の受けた損害は次のとおりである。

(一) 逸失利益 金三三一万九四七五円

(計算式)

14万4700(円)(47歳女子の平均給与月額)×12(月)×7/10(生活費控除)×27310(3年の新ホフマン係数)

(二) 慰謝料      金三〇〇万円

6  相続

和子の権利義務は、同女の死亡によって原告渡田武(相続分三分の一)及びその余の原告ら(相続分各九分の二)が承継した。

7  結論

よって、原告らは被告に対し、不法行為による損害賠償として、原告渡田武において金二一〇万六四九一円及びその余の原告らにおいてそれぞれ金一四〇万四三二七円並びに右各金員に対する不法行為後の日である同五五年一二月九日から支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否等

1  請求原因1は認める。

2  同2は不知。

3  同3ないし5は争う。

4  被告の主張

(一) 胃カメラ等による検査方法は、特殊な技能が必要なこと、一度に多人数の検査ができないこと、受診者にある程度の苦痛を与えること、費用が高くなることなどのため、胃集検用としては不適当である。

これに対し、エックス線間接撮影法は今日種々の改良が施され、その精度も向上したため、胃集検に最適の方法として広く用いられている。

被告は、同四七年国の「がん予防対策要綱」や日本胃集団検診学会の答申に準拠して「胃集団検診実施要綱」を定め、これに基づいて胃集検を実施している。

(二) 胃集検においては、受診者の異常所見を発見しえないこともあるが、現在の胃集検制度の下ではやむをえないものである。

(三) 被告は、受診者に「異常なし」の通知をする際にも、その後の定期検診の勧奨と自覚症状があるときには早期に医師に相談するよう指導している。

第三証拠《省略》

理由

一  請求原因1の事実は当事者間に争いがない。

二  《証拠省略》によれば、請求原因2の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。

三  《証拠省略》を総合すれば、次の事実が認められ、これに反する証拠はない。

1  社団法人日本胃集団検診学会(昭和三七年設立)は、エックス線の被曝を必要最小限度に止め、胃集検における間接撮影方式の標準化を促進するため、胃間接撮影法適正化委員会及び間接撮影標準化委員会を組織して検討を重ね、同四九年に右両委員会の答申を発表した。

2  同五一年ころの胃集検の実情は、六枚のエックス線間接撮影を行うところが最も多く、その読影時複数の読影者によるダブルチェックを行っているところが半数以上を占めていたが、なお異常所見の見落しの危険性は小さくなく、改善すべき点が多いとされていた。

同五四年ころ内視鏡を用いた胃集検が可能となり、後記ボルマンⅡ、Ⅲ型進行胃癌の発見率が極めて高くなったが、この方法は受診者に苦痛を伴う欠点があり、胃の撮影範囲の検討や器具の洗浄消毒方法等の基礎的検討は未だ不十分であった。

3  被告は、同四三年から胃集検を実施しているが、同五三年四月一日以降は「胃集団検診実施要綱」を施行し、これに基づき一〇センチメートルのフィルム六枚によるエックス線間接撮影法を用いて前記の答申に準拠した胃集検を行っていた。

4  被告が同五四年九月一八日垂水保健所で実施した胃集検の受診者は、和子を含めて三一名であったが、被告の職員(医師)三名は、右三一名分の間接撮影フィルム(一名につき六枚)を含めた二〇八名分のフィルムを約二時間かけて読影し(したがって単純計算すると、三一名分のフィルムの読影に要した時間は約一八分になる。)、和子のフィルムについては「異常なし」と判定した。

ところで、当裁判所が鑑定の方法により、和子を含む前記三一名の受診者のフィルムを、医師免許取得後二〇ないし二五年を経過し間接撮影フィルムの読影経験一一ないし二〇年を有する医師三名に、各自一八分間でその読影を行わせたところ、和子のフィルムに関しては三名とも胃癌確診の判定を下した。また同医師らは、同女のフィルムを仔細に検討した結果、胃癌(ボルマンⅢ型)と判断するのが妥当であるとしている。

5  垂水保健所長が和子に対し異常なしとの検査結果を通知した同五四年九月二一日付の葉書には、「いま異常がないからといっても将来も大丈夫とはいえません」「胃腸の具合いが悪いときには早目に医師に相談する習慣をつけるようにしてください。」という注意書が付記されていた。また、和子が胃集検の当日配付を受けた書面にも、「精密検査の必要を認めないと判定された方は、異常なし、および胃炎、胃下垂、などの病名のついたものが含まれます。これらの方で自覚症状があったり、何となく不安な方は、かかりつけの医師に相談してください。」という旨の注意書が記載されていた。

6  胃癌は、その進行程度によって、その浸潤が粘膜下層までで止まる早期癌と、さらに進展した進行癌とに大別される。

早期癌は三六か月の期間を経て進行癌に進展することが統計的に推定されており、早期癌の診断が確定すれば直ちに手術を行うべきであるとされている。

ボルマンは、進行胃癌をその発育様式に基づいて肉眼的にⅠないしⅣ型に区別する分類法を発表し、今日でもこの分類法が用いられている。和子の罹患していたボルマンⅢ型は、胃癌の中で最も発生頻度が高く、全体の三分の一を占め、同Ⅰ型及びⅡ型に比較して予後が悪い。

ボルマンⅢ型については、同三七年ないし同四〇年において、五年生存率が一九・四パーセント、三年生存率が二五パーセントであったという統計的調査結果がある。

四  以上の事実を前提にして、原告が主張する被告の過失について判断する。

1  被告が和子に対して実施した胃集検の方法は、日本胃集団検診学会が同四九年に発表した答申に準拠した一般的なものであることが明らかであり、読影者の数を含めてこれが不相当なことを認めるに足りる証拠はないから、この点において被告の過失を認めることはできないというべきである。

2  被告の間接撮影フィルム読影担当者は、和子のフィルムの読影の際、異常所見を見落し、その結果垂水保健所長が同女に対して異常なしとの通知をしたことが明らかである。

しかしながら、現在の胃集検の制度においては、一般に異常所見の見落しの可能性は否定できないことが明らかであり、受診者の間においても、その精度に絶対的な信頼を置きうるものではない旨の認識がむしろ広く行われているものと解するのが相当である。

また被告は、和子に対する検診の当日及びその検査結果を通知する際、自覚症状があるときは医師に相談すべき旨の指導を行っていることが明らかであるから、被告の和子に対する検査結果の通知内容において過失があったものということはできない。

さらに、和子が被告の胃集検を受けた時点で異常所見が発見され直ちに手術を受けていたと仮定しても、これによって同女が延命しえたことを認めるに足りる証拠はないから、仮に被告職員のフィルム読影における見落しを過失と評価するとしても、この過失と同女の死亡との間に相当因果関係を認めることができないというべきである。

五  よって、原告らの本件請求は、その余の点について判断するまでもなく理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 中川敏男 裁判官 上原健嗣 小田幸生)

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